世界が違う

今更だが、今年の元旦の東京新聞の1面の下に本の広告が出ていて、読もうと思った記憶がある。いや元旦じゃないかもしれない、残念なことに作者も、題名も出版社も覚えていない。(というか、今まで知らない名前だった)メモしておけばよかったのに、そのままにしてしまい、先日新聞を回収にだしてしまって、今となっては全くわからない。覚えているのは、新聞の下段四分の一位の大きいスペースだったことと、同じ日の日経の中のページにも同じ広告があったというだ。

それで、今日本屋に行ったので、そのように言ってみたのだけれど、当然わからない。

 

あきらめて買って来たのは婦人画報。初めて買ったのはやはり広告で見たのだが、金子みすずの詩集が付録についていたのと、なんか読みたいタイトルがあった気がしたから。

読んでみて、今でもこういう雑誌があるのねとしみじみ思った。

何処まで言ってもブランド品の広告、全く生活レベルの違う人達の暮らし。貴金属の広告も桁が違うし。

 

持っている人にとっては、持たない人にも当然持つように迫ってくる。消費しないことが恥ずかしいこと悪いことであるかのように。きりなくとめどなく何処まで持てばよしとなるのだろう。

ブランドのカフェに行くのには、ブランドで着飾って、自分の衣装で何百万てかけて座らないとやっぱり恥ずかしくなる。その中に何も飾らずに場違いのシャツで座れそうもない。

いつもそうやって場に合うように自分が恥ずかしくないようにしなければいけないと感じるのは何故だろう。(もちろんそんな所に行くことはないだろうが、つい想像してしまう)

 

「消費を活性化させるのは間違いなく人間の欲望である」(『9条どうでしょう』 P.198)

 

 

 

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