寺田寅彦のコーヒー哲学

寺田寅彦の『珈琲哲学序説』から抜粋。

「しかし自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。」
「研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、前記の意味でのコーヒーを飲む。コーヒー茶碗の縁がまさに唇と相触れようとする瞬間に、ぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである。」
「コーヒーが興奮剤であるとは知ってはいたが、本当にその意味を体験したことはただ一度ある。病気のために一年以上まったくコーヒーを口にしないでいて、そうしてある秋の日の午後久しぶりで銀座へ行って、そのただ一杯を味わった。そうしてぶらぶら歩いて日比谷辺りまで来ると、なんだかその辺りの様子が平時とは違うような気がした。公園の木立も行き交う電車もすべての常住的なものがひどく美しく明るく愉快なもののように思われ、歩いている人間がみんな頼もしく見え、要するにこの世の中全体がすべて祝福と希望に満ち輝いているように思われた。気がついてみると、両方の手のひらに脂汗のようなものがいっぱいにじんでいた。なるほどこれは恐ろしい毒薬であると感心もし、また人間というものが実にわずかな薬物によって勝手に支配される哀れな存在であると思ったことである。」

今朝はすでにコーヒーを3杯も飲んでしまいました。
この短編はいま3回読み返してそれでももっと味わっていたい気持ちです。

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