読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

最初の記憶

自分で振り返って一番最初の記憶というものがある。
それ自体何度も自分の中で一番最初の記憶として何度も思い出すのでより、鮮明になり、またどこかフィクションが加わっているかもしれないが。

まだ10カ月くらいの頃、母が私の相手をしていた。
そこへ父が外から帰ってきた。手には当時の私の身長と同じくらいの女の子の人形をもっていた。

その人形を立たせて手を引くと足を動かすようで、父は人形の両手を引いて歩かせて見せた。
そして、私にもやってみるように人形の手を取らせた。
(私は9カ月くらいから歩いていた)しかし人形の手を引いて後ずさりするほど歩けるわけではなく、すぐ人形がばたりと倒れた。
倒れた人形は目を閉じていた。
起こすと目を開いた。
ただただ人形を見つめていた。
父は私が喜ぶだろうと思って嬉しそうな顔をしているのだが、私にはその等身大の人形の目が怖かった。

最近この記憶について考えるのは、映像として鮮明に覚えているのだがここにはまだ自分の自我みたいなものが生まれていなかったのではないかということ。自分は観察者のような立場で起こったこと周りの人間の感情をただあるままに見ているということ。おそらくまだ発する言葉もなく、このころからの経験がつみかさなっていつしか自分だと思っている自我が出来上がったのではないだろうか。

幼児が最初に発する言葉はまーとかぶーとか、まず対象を指示して話し始める。大人は「あなたはこうしたいのね」とか、「あなたはどうしたいの」と会話の中で私とあなたを当然のように話すことによって、自分という意識ができあがっていく。

ただ、どうこうしたい要求をもった意識された自分とそれ以前になんの前提もなく自分を含めて観察しているような自分がもともとあったと思う。

なんというか、そこに自分の存在を感じる。
いろいろな経験から出来上がった脳の中の自己と、もともとからある自分は同じだと思っているけどほんとは違うのかもしれません。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger... }