うる覚えの記憶で「記憶」書店に行かれなかった話

本題に入る前にこのタイトルを書いてから、うる覚えという言葉がないと気がついた。そう、どの辞書にも載っていなかった。そこで、「曖昧な記憶」でぐぐって確認できたのは正しくは「うろ覚え」という言葉でした。ここらかすでにうろ覚え。でも良い勉強になりました。本当に知らない事ばかり。

 

私は福岡ハカセの文章がとっても好きで、こちらは先月の初めに読んだ本。

そのなかに、記憶という本屋が中野にあるというので、行ってみたいと思っていた。

中央線に乗ったついでの途中下車。

私の曖昧な記憶の中では中野、ブロードウェイ、2階、記憶という名の本屋、だった。

 

中野のブロードウェイならよく知っているという思い込み。行った事があるのは20〜30年前の事。

駅前に工事で大きなデッキが出来ていたが、あの駅から見えるサンモール入り口は全然昔のままに見える。

ところが、ブロードウェイに入っていって驚いた。

こんな街があるのかと、外から想像していなかった世界が広がっていた。

ブレードランナー」の近未来の日本はここにかもしれないような。

 

そんな風景に圧倒されて、私の思い込みが2階だったために3階までは探したのに、たどり着けずに帰ってきてしまった。入り口でガイドブックももらったのに、探す事が出来なかった。

 

家に帰ってから再び「生命と記憶のパラドクス」を開けてみたら、4階にあると書いてあった。

そして、中野ブロードウェイの、私の記憶の中のそれとはすっかり変わっていることも書いてあるのにそちらの方はスルーしてしまっていたと、気がついた。

 

その「記憶」の書店という章の中でとても気に入っているところを引用。

 「今の私は、昔の私とは物質的にはすっかり別人になっている。けれどもかろうじて記憶だけが今と昔をつないでいる。自己同一性のよすがはこの儚い記憶だけなのだ。」

 

その記憶がだんだんにすり替わっていくと果たして私は私といえるのだろうか。

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