突然停電

三日前の朝、家族が出かける前の時間、突然電気が消えた。もう明るくはなっていたが、洗面所や玄関は電気がないと暗い。テレビも消えて、どうやら家の中の電気が全て停電しているようだ。ブレーカーを調べてみたが、落ちていないようで、近所も停電しているのかと思って外へ出てみると、うちは3階なのだが、2階は普通に電気が付いている。初めてのことで、どうすれば復旧するのかわからずに東京電力の検針票を見て、電話をかけた。朝7時台だったが、自動音声の案内に従って番号を選択して、数分して電話がつながり1時間くらいで調べに来てくれた。

家の中と外の漏電ブレーカーが落ちていた。

そういえば、その2、3日前からリビングの床暖房が左足のところは暖かいのに右足のところは冷たくて、以前からだったのか、壊れたのかと思っていたのだが、年明け早々また家の中を工事屋さんに修理を頼まなくてはいけないのかとそのままにしていたのだった。東京電力の人が調べて床暖房の漏電であるとわかり、そのほかの電気は復旧した。10年以上前にリフォームして、オール電化にこそしなかったのだが、キッチンをIH、トイレも自動にした結果、停電するととても不便になってしまった。トイレもレバーがあるタイプなら停電しても水が流せるが、それも付いていないのでバケツで水を汲んで流さなければいけない。幸い1時間ちょっとで済んだのでホッとしたが、床暖房の方はこれから修理をしなくては使えない。

しかし、床暖房というのは床にコルクを貼ってあるその下に入っているので、床をはがしてとなると、電気屋さんの修理では済まないかもしれない。

電気のコードなどは耐用年数もあるのだろうが、簡単に取り替えられる様子はないので、すごく心配だ。まず先に電気屋さんに見に来てもらい、どういう工事になるのか調べてもらうことになったが、土日に入ってしまっているので、来週以降の話になるだろう。

夏はエアコンを使っているが、冬は乾燥するので、デロンギのヒーターを使っているが、それだけだとやはり寒い。家の中でも外と変わらぬ服の数を重ね着して耐えている。

 

夕日と富士山と

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駅ビルの最上階のカフェからの眺め。12月12日頃と、1月1日に富士山のほぼ真ん中に夕日が沈む。午後4時10分ごろ。10日くらいまでは少しずつ連れて行くが、富士山の向こうに夕日が沈む。

今日は7日なので午後4時23分頃、向かって右側にずれている。スマホでは滲んで夕日をうまく写せなかった。

駅ビルができて5、6年してそのことに気がついたのは10年くらい前。偶然に見たその景色はその後もなんども見られると思ったが、見られそうで、天気や都合でなかなか見られない。結局人生で同じタイミングで同じ景色を見られることなんて、2度とはないのかもしれない。

年末年始、義母がデイサービスに行き、帰るまでの間に別の身内の介護に電車に乗って出かけて、お迎えに間に合うかどうかハラハラしながら帰路につく。

中央線の高架から家が近づくと富士山と夕日が見える。電車の扉に体をくっつけてじっと見つめる。いつ見ても魅了される。

自分の住んでいる町がそれだけで特別の町のように感じている。うちの窓から見えるわけではないけれど、富士山が綺麗で冬至の前後にダイヤモンド富士が見られるこの町が。

堀文子展に行った

朝の7時過ぎ、家の外にゴミを出して、ついでに家の後ろに出るとそこだけ朝日が届いて日が当たっていて、そこに立ち顔を太陽の方に向ける。晴れている日はそうして毎朝太陽の暖かさを顔に感じて、それが身体の細胞を元気にしてくれていると、目を閉じて数秒の間光のシャワーを浴びるようにしている。冬であっても太陽の光に当たると暖かいのだが、この頃は太陽の熱量が以前よりも少なくなっているようにも感じる。

今朝は東京でも氷点下になったようだ。

日曜日の朝、町内会の廃品回収で雑誌や雑紙やダンボールなど年末で本棚を整理してたまったものを出した。

義母は12月に入ってから、家の中が暖かいと春が来たと思って、毎朝デイサービスに行く時にもうコートはいらないとどこかへ片付けてしまい、探しては嫌がるのを着せていたが、土曜日になったら突然、今日は元旦だから美味しいものをみんなで食べに行くのと言っていた。その割には普段着の上っぱり姿なのだが、お昼にうどん屋さんに車で行って食べて帰ると満足した様子。12月がなくてもう1月になってしまったようだ。デイサービスがなくて家にいると何回もヤカンのお湯を沸かして、そのまま火を消し忘れてしまうので、下の階の別世帯に分かれていて、目が届かないため、午後にはガスの元栓を閉めた。

最近はちょっとまとまって時間を一人にしておくのも心配になってきたので、昨日は車で1時間の義姉の家に義母を連れて行き、見てもらっている間に神奈川県立近代美術館へ行ってきた。そこから高速を使って2時間弱。滞在時間も2時間弱。帰りにやはり2時間弱。それでも無理かと諦めかけていたので、行かれて嬉しかった。

開催されていたのは『白寿記念 堀文子展』である。

今年の7月で99歳になられたそうで、女子美術専門学校の時代から去年の作品までを通して見ることができた。

私が堀文子さんのことを知ったのは堀さんが80代になられてから、何度かヒマラヤ山麓へ行っては幻の高原植物のブルーポピーの絵を描いた後のことで、以来彼女の絵とそのひととなりにとても惹かれている。

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上の絵葉書は一ヶ月前に、銀座のナカジマアートで開かれていた「堀文子展 2017・・・現在〜99歳のアトリエから〜」を見に行った時に買ったもの。上の段の一番右の「紅梅」(2016)と上段真ん中の「極微の宇宙に生きるものたちⅡ」(2002)は今回の展示で見ることができる。

徹子の部屋」で背後に飾られていて印象的な「アフガンの王女」(2003)の絵も展示されていた。

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着いたのが1時半過ぎだったので、展示より先に海の見えるレストランでランチを頂く。水平線がずっと光っているのが印象的だった。

長柄の交差点にあった蔵のパン屋さんは二年ぶりに通ったらもうなくなっていた。

すごく惹かれていたのだが、車が止まれないのでいつも通り過ぎるだけだったのに、なくなってしまっていると、行かれなかったことが残念に思う。

しかし、その先の道では新しい「パンとコーヒーと」という店が出来ていて、そちらは店の前の駐車場は満車で流行っている様子だった。寄り道する時間が惜しくて結局素通りしてしまったが、また次回来る時に(また二年くらい先か?)余裕があることを期待しつつ帰る。

玉川上水駅から歩く

もう一週間も前の暖かい日に、このブログでも何回か歩いている玉川上水の緑道を歩いた。その頃はまだ11月。なのにもう12月も週末には10日になってしまうという。その間、夫は流行り目で私は祟り目で、下の瞼に脂が溜まり目が開けるのも痛かったのだが、どうやらピークを過ぎてきた。

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落ち葉を踏みながら歩く。葉っぱのいい匂いと、カサカサ言う感触が気持ちいい。

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写真では判りにくいが、玉川上水の上を直角に残堀川が交差している。玉川上水は地下を通って、サイホン工法でまた上がってくるらしい。

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1時間以上も歩いて緑道部分が狭くなり、木の根元のデコボコした斜面に近い1メートルくらいの幅になった。青いテープが巻かれた木が数メートルおきにずらりと並んでいた。何かの診断をされるのか、もうされたのか、目印のテープだ。幹に巻かれているので、伐採されるとしたら、すっかり切られてしまうのだろう。写真は撮らなかったが、昔見た映画の海賊たちが首に鎖をはめられて一列に並んでギロチンにかけられていく姿が見えた気がした。

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さらに歩いたところで、遠くから見てもひときわ立派だった木の幹には白いテープが巻かれていた。これは11月末に通行の安全のために切ると書いてあった。ということはもう今頃切られてしまっただろうか。別に木が弱っていて枯れそうな様子もない。周りの木に比べてもかなり年数の経っているように見える木だ。ただここは緑道部分は幅がほとんどなく、そこを遮るように生えていて、横は車道になっている。安全上と言いながら、つまり邪魔だから切るということに思える。

神戸のツリーが話題になったら、木を切ったことに対する抗議の署名の数が多くて、木がかわいそうという人が多いというので、この木は森林組合がもともと使う予定のものだからと再びテレビで説明していたが、その木だけがかわいそうだからと抗議しているわけではない。ツリーとなったあすなろの木を見て、励まされたと涙を流す人達の顔が映されていたが、木の命もその前に消えていこうとしている。私たちが木の意識に同期できれば、樹齢150年のその木に150年先の未来の子供たちへの伝言を託すこともできるかもしれないのだが、私たちには今の時間しか意識することができない。

本当にできないだろうか?少なくとも自分たちの行為くらいはしっかりと意識していたい。一体何をしているのか、どこへ行こうとしているのか。

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途中から玉川上水を外れ、砂川の農家の中にあるパン屋さんへ。

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落ち葉が舞い散るある日の午後。

 

昭和記念公園 

 11日土曜日の未明、目が覚めたら外で豪雨のような音がしていた。窓の外を見ることなく、再び寝てしまって起きた時には真っ青な空が広がっていた。昨夜の豪雨、すごかったよね、と言っても家族の誰も気がつかなかったという。午後にあった青梅の人も、杉並の人も、「うちの方は降らなかったわ」という。そのうち、私一人が妄想の世界で嵐だったんじゃないかということに。そんな、とツイッターを見てみると、結構あちこちで局所的に豪雨をつぶやいている人はたくさんいた。だから私の聞いたのは夢じゃないと信じたい。何がフェイクで真実かは誰もわからない世の中で。

 で、昨日は天気も良くて、郵便局に行ったついでに歩いていける昭和記念公園へ。

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近くなのでちょくちょく行っていたと思うのだが、ブログで見ると前回に行ったのは3年以上前だった。

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屋上が緑化されている建物の中には昭和天皇記念館と文化カフェなどがある。

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ここはまだ公園の中ではなく、入り口の手前の広場。

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銀杏並木を見に来たのだけれど、南側の列はもうほとんど散っていて、3分の2位残っている感じだろうか。

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葉が散ってしまって銀杏が鈴なりについている。

やはりおとといの豪雨で今年は割とすぐ散ってしまったのだろうか。

7、8年前ぐらいか温暖化のせいかイチョウが黄葉せず散らないまま年を越してしまった年が2年くらいあったような気がするのだが、今はそれに比べると年々早まっているように思える。それでもニュースでは相変わらず何かにつけて温暖化が取り上げられるが、もういい加減に改めるべきなんじゃないだろうか。2酸化炭素の排出権取引とか、原発再稼働とかの言い訳にするのは。

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トウカエデ

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ヒマラヤ杉 (ヒマラヤシーダ)。一瞬、こだまがたくさんいるように見えた。
紅葉の美しい場所には沢山の人が群がってカメラを向けている
人の多いところを避けて細い道を行くと、何故かメロディーが浮かんでくる。人がいないのをいいことに歌いながら歩く。

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”公園のベンチで一人〜”(また替え歌)さて何の歌でしょう?

”いま〜は〜秋”

”今日から私は心の旅人”

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目立たないところの一角にキバナコスモスがまだ咲いていた。表のコスモス畑はすっかり抜き取られて春のポピー畑に向けて土の畑になっていた。

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木の後ろからはヘリコプターの音が聞こえる
日曜日の夜テレビでやっていたシンゴジラで立川の広域防災基地が内閣府災害対策本部予備室になって出ていたっけ。
そういえば、その部分だけが常緑樹が並んでいる。あとはぐるりと落葉樹だ。
目隠ししているのだろうか。

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木の下を通り、サイクリングロードを横切り、園内周遊列車の通る車道を抜けて覗いてみると、ホバリング中のヘリコプターが見えた。歩いて公園を出るまでずっとヘリコプターの音はし続けていた。

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災害センターの北側は陸自立川駐屯地

目隠ししているのかと言っても、簡単に出入りできてしまいそうな柵だけなので、別に木の植え方にそれほどの深い意味があるわけでもないのだろう。

でも基本的に人の歩く道ではない公園の一番端っこの車用の道路だが、私以外にもこうして覗き込んでいる人は他にもいた。

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秋の公園、やはり多いのは二人連れ。

早稲田大学と早稲田奉仕園スコットホール

昨日、半分くらいまで書いて、夕方ご飯の支度でお米だけは研いでおかなくちゃと、パソコンをそのままにして、戻ってみたら、なぜかすっかり消えてしまっていた。

月曜日、前回の明治学院大学に続いて、東京文化財ウィーク2017で紹介されていた、早稲田大学2号館(會津八一記念博物館)と早稲田奉仕園スコットホールへ行ってきた。

スコットホールの公開日は11月2日のみで、残念ながら中を見ることはできなかったが、ギャラリーの方で7日までヴォーリズ建築写真展が開かれていた。

先にスコットホールへ向かったのだが、時間が少し早かったので早稲田大学2号館へ向かう。早稲田通りを渡って細い道から階段を少し登ると、特に守衛さんがいるような門を通ることもなく、もうそこは校舎の屋上だった。あまりにオープンなのにちょっとびっくり。

屋上の端まで行って見下ろして見たところ。

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正面が大隈講堂。ちょうど授業中の時間のせいかほとんど人影が写っていない。

屋上から階段を降りると校舎の中で廊下に木の扉が並んでいるが、窓はないので中は見えない。ドアの横に休講の張り紙が貼ってあるので、授業があるのだろうが、人がいるのかどうか、まったくわからない。シーンと人の気配のしない校舎をちょっとドキドキしながら抜けて構内を歩いて行った。

まっすぐ講堂の方へと歩いていくと、右手に早稲田大学2号館があり、企画展と、常設展示があった。

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中の装飾も素晴らしかったが撮影禁止だったので、外観と周りを写してみた。

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 (ここで再び、夕食の支度の時間となり、中断。今度は下書きに保存したので消えずに済んだけれど、1日経ってしまった。

今朝は朝、外に出ると木枯らしに街路樹のサルスベリの葉が巻き上げられて空に舞っていった。

それでは三日前に戻って、続きます。)

お昼のチャイムが鳴ると、どこからともなく人がたくさん出てきて、留学生が多いのか、聞こえてくるのは中国語?か、他の外国語の方が多かった。

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こちらの銀杏ももうすっかり色づいていた。

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大隈講堂を横から写したところ。この道は大隈公園との間にあり、先には大隈ガーデンハウスという学食がある。とても雰囲気の素敵な小径を通って庭園が見下ろせる学食で羨ましい。ちょうどお昼休みになり人の流れが一気に向かっていたので、隣の大隈公園を見に行く。

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公園の向こう側はリーガロイヤルホテルで、ガラス張りの中はレストランから庭を眺められるようになっている。公園側からの出入りもできるようになっていて、そこからホテルを通り抜けて歩いていく。

そして、早稲田奉仕園スコットホールへ着いた。

奉仕園というのは早稲田大学創始者大隈重信の依頼を受けてパプテスト教会の宣教師であったH.B.ベニンホフ博士がキリスト教主義の学生寮を開いたことに始まっているそう。

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なんだか、この赤レンガの建物がもう懐かしく思えてくる。また会えましたね、という気持ちになる。

この建物はヴォーリズ設計事務所の設計原案、内藤多仲が施工管理、今井兼次が完成設計の1921(大正10)年完成のレンガ造り近代洋風建築。

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横に回ると半地下の入り口があり、ギャラリーのスペースになっている。

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ヴォーリズの自叙伝を買った。

帰り道にまた遠回りをして、駅とは反対側に向かうと甘泉園公園。

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紅葉もすっかり赤くなっていた。甘泉という名前のように美味しい水は今でも湧いているのだろうか。名前の由来の看板はあったが、現在流れている水については言及はなかった。池の先を登っていくと水音を立てて流れ出している所があったが、工事ようの水を流すパイプも通っていたので、どのような水が流れ出しているのかはわからなかった。

 

明治学院 文化財

秋になると東京文化財ウィークという事業が毎年行われている。パンフレットは手に入れてチェックをしていたものの、日にちがどんどん過ぎていってしまったのだが、先週新聞で明治学院インブリー館(重要文化財)とウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計の礼拝堂と記念館(この2つは港区の文化財)が合わせて一般公開とあり、2日に行ってきた。

白金台高輪という駅から歩く。大学の学園祭で若い人たちに混ざって入って行った。

入り口を入ってすぐに明治学院礼拝堂があった。

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建物の後ろ側。f:id:hidamari39:20171103225302j:image

チャペルの中は人はまばらだったが、上からパイプオルガンが鳴っていた。f:id:hidamari39:20171103225320j:imagef:id:hidamari39:20171103225344j:imagef:id:hidamari39:20171103225401j:imagef:id:hidamari39:20171103225412j:image

頂いた礼拝堂のパンフレットによると、もともとは1903(明治36)年にリヒャルト・ゼール設計による石造りでゴシック風の壮麗なミラー記念礼拝堂が建てられたが、1905年と1909年の2度の地震で大破してしまう。その後、ヴォーリズの設計により、破損したミラー礼拝堂の資材を基礎に再利用して壁にレンガを積み屋根を木造シザース・トラスで支えたチャペルが1916年に完成した。2009年に復元修復と新パイプオルガンが設置された。なんでもバッハのオルガン全作品を演奏可能な規模とのこと。去年でちょうど100年。なんだかありがたくて何度も出たり入ったり。なぜヴォーリズが設計することになったのかというつながりについてはいろいろパンフレットを見ても見つからなかった。

向かい側には明治学院記念館がある。

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小チャペルや事務室、会議室を備えている。1890(明治23)年、明治学院の教員であったH.M.ランディス教授によって設計されたと言われている。

一階はチャペルと歴史資料館があり、2階にはメーソン&ハムリン社製リードオルガンがあり、午前中に着いた時にオルガンコンサートの整理券をもらった。1回目はすでに整理券はなく、2回目の分をもらえたので、まだ1時間半あったが待つことに。

リードオルガンは昔は小学校などでも使われていたそうだが、同じ様式で現在でも演奏可能なものはもう他にはないとのこと。修理することも難しく、リードが切れると音が出なくなってしまうので、こうして聴くことも次の機会があるかどうかもわからないということだった。30分間のコンサートでその音色を聴くことができて、またしみじみありがたい気持ちになった。

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建物の横に植えられているのは「アンネのバラ」。

記念館の後ろ側に明治学院インブリー館。

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1889(明治22)年頃の木造2階建で設計者は不詳。明治学院が明治20年に横浜から白金へ移り、宣教師のための住宅として建てられた。

宣教師館として、また西洋風住宅の先駆けとして国の重要文化財に指定された。

 

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インブリー館から記念館を見たところ。

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横には本館。こちらから先は文化祭の若者達が色々な食べ物を売っていたり、催し物をやっているようだったが、ウロウロ行ったり来たりして明治学院大学国際平和研究所の沖縄の写真展と文芸喫茶に入って、学生の入れてくれるほとんど苦くない、ほろ苦コーヒーを飲んだ。

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おまけ。

帰り道、白金高輪の駅へ向かうが、手前で坂道を見つけてなんとなく登り、

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細い小径を見つけてなんとなく入り、

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また曲がったところで、巨樹を見つけた!

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旧細川邸のシイの木。写真では全体が撮れず、分かりにくいが真ん中には古い幹があり、上で切られていて、周りを囲むように若い木がまた育ってこのような太い幹に見えているようだ。何れにしてもかなり古い樹齢のようだ。

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文化財ウイークは続く。

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