ツバメが巣立っていった

巣立っていくのは、ほんの一瞬のこと。そのタイミングに出会えるのも奇跡のようでもある。

 朝、ゴミを出して家の周りに水をまきながら裏へ回ってみると、まだツバメのヒナ2羽が昨日のままの状態で巣にいた。親鳥が飛んでくるときは口を大きく開けて、盛んにジージーと啼くのに、人間が下から見上げてもシーンとして口もキッと結んだまま。夜の間は親鳥は来ないようで、ずっと雛だけで待っているのだろうか。戻りかけた時に、親鳥が飛んできて、駐車場の中をクルッと回って飛んでいく。餌をあげている様子ではなく、雛の鳴き方も餌をもらうときのジージーという鳴き声ではなく、ピーピーと違うように聞こえる。さあ、飛びなさいという親の声と、子供達の準備ができたという会話なのだろうか。少し離れて見ていたら、ついに1羽が飛び立った。昨日巣立った1羽のようにしたにすぐ降りて留まるのではなく、2周くらい道路の上を回って高く上がり隣の屋根の上まで一気に飛んで行った。2羽の親鳥も一緒になって飛んでいる。1日遅かった分、昨日よりも成長したのだろうか。昨日に比べると最初からずいぶん上手に飛んでいて、感心して見ていた。

 最後の1羽も少しして飛び立った。同じようにすぐさま上に飛ぶことができ、先ほどの雛のいるところまで飛んで行った。

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姿はまだ雛で体もずいぶん震えているように見える。部屋に戻ってから見ると3羽になっていて、親鳥は飛んでいるところで姿から、昨日巣立った1羽が入ったところのようだった。3羽の兄弟がそろって10分くらいこうしていただろうか。親鳥が旋回しながら向かい側のベランダから見ている私のすぐ近くを横切った。いつもそんなに近くまで来たことがないので、最後の挨拶をしてくれているように感じた。

 そして一斉に飛んで行ってしまった。

出かける前の慌ただしい朝の時間。ツバメの巣立ちに出会った特別な日になった。

 

 ブログを書いていて時々鳥や植物のことを書いているのに、自分の生活にリンクしていると感じることがある。シンクロニシティというのだろうか。毎年ツバメが訪れて雛のかえる巣もあるが、表に比べると人通りのない場所で、10年くらい前にカラスに雛が襲われて少し壊れかけているような巣に今年ツバメが帰ってきたこと。そして今回は生まれた数は少なかったかもしれないが、みんな無事に巣立ったこと。それはとても意味があることのようにも思えるのだ。

7月19日 関東地方梅雨明け

   朝、外に出た時に街路樹からセミの声が聞こえた。今までも30度以上の日々が続いているのだが、昨日までとは気圧が変わったのだろうか。なんだかいよいよ夏になったのだという気がする。昨日の雷雨以来の風は爽やかになったので、クーラーをつけないで風を通しただけでも過ごしやすかった。

 ツバメの雛は3羽育っていて、ちょっと大きめに見えた1羽が今朝巣立った。最初は向かいのマンションの自転車のハンドルから軒の上に移り鳴いていた。毎日見ていると、親鳥2羽の他にいつもあと3羽が一緒に飛んでいた。ーこれは春に育った子供達なのだろうか。一緒に子育てを手伝っているようにも見える。軒の上で動かない雛を近くの電線に変わりばんこに留まって見守っている。そして時々飛び方を教えるようにゆっくりと雛の周りを飛んでいる。

 1時間くらいかけて、休みながら向かいの家の屋根の上を一軒づつ飛んで行って最後に飛び立った途端、見えなくなってしまった。迎えに来た5羽のツバメ達と一緒にあっという間に離れていって、もう戻っては来なかった。残りの2羽は今日はまだ飛び立たないようだった。また例の兄弟たち(?)が飛び方を教えるように何度もきてはゆっくりと回っていく。雛たちも羽ばたく練習をしているようにみえたのだが、まだ飛び立つには少し早かったようだ。f:id:hidamari39:20170719173454j:plain

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お兄ちゃんいっちゃったね。

新しい命は生まれ

先週、ベランダにヒヨドリの雛が来た。夕方の5時ごろ賑やかな声がするので見たら、3羽の雛を親鳥が連れてきたようだった。

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(網戸越しでピンボケ写真ですみません)まだやっと飛び始めたばかりのようで、向かいの屋根に移って、また戻ってきて10分くらいじっとしていた。少し離れて端っこにあと2羽いて、しばらくするとどこかに飛んで行った。

まだそんなに距離が飛べるようにも思えなかったが、どこに巣を作っているのだろうか。近くにはあまり木もないのでこんなに幼い雛がきたのは意外な気がした。

 さて駐車場のツバメの方はどうかと、昨日下を通ったらかすかに啼き声が聞こえたように思えたが、親鳥の姿は見えなかった。しばらくすると、戻ってきて覗き込むようにしているが、巣の様子は下からはわからない。今朝、再び見た時、親鳥が飛んできて覗き込むようにすると、頼りなげなケムンパスみたいな黒い毛の生えた小さな頭が2つ見えた。小さくて儚くて、まだ声もほとんど聞こえない。

 

と書いてすでに三日くらい経っているだろうか。今は雛は3羽。声もだいぶ賑やかになってきたようだ。

 

ブックオフにて見つけた本を一気に読んだ。

 作者の父親の作家の丹羽文雄さんは、80歳を過ぎてアルツハイマー型痴呆を発症し、母親はパーキンソン病動脈硬化でまだらボケになり、両親を介護することに。

父・丹羽文雄 介護の日々 (中公文庫)

父・丹羽文雄 介護の日々 (中公文庫)

 

 夫婦で介護が必要になった時、どうすればいいか。この夫婦の状況が今自分の直面している問題とそっくりで他人事とは思えない。今は介護保険があると言っても実際にうまくいくことより、うまくいかないことばかりだ。本にあるようにケア付きの老人ホームに入ることや住み込みのお手伝いさんと昼間のお手伝いさんと2人についてもらうということも、現実に難しいだろうし、年老いていく本人以上に周りの人たちが限界を感じている。

作者が自分自身のことについて、若い頃からの夢で60歳を超えたら一年の3分の1は夫婦で外国で暮らそうと、小さな夢を持っていたと書いている。ところが、60歳は超えたものの、両親の介護はいつ終わるものかわかるものではなく、将来の計画は立ちそうにないとある。しかし、気持ちの踏ん切りをつけたら、思い悩まないで前向きに介護にあたろうと書いている。

ネットで作者の本田桂子さんを検索したら、この本が出た後、お父さんを残して65歳で急死したという。晩年のお父さんは娘のこともわからなくなったが、100歳まで生きたそうだ。

私は本田桂子さんがさぞ無念だっただろうとは思わない。するべきことはして、あっさりとこの世界から旅立って行っただけだと思う。

高幡不動の紫陽花と向島用水親水路

今朝テレビをテレビを見ていたら、政府広報が流れて内閣官房消防庁からのお知らせで北朝鮮からのミサイル落下に備えて、Jアラートがなったら非難の仕方を紹介していた。先日もアメリカがトランプさんのコミー前長官の議会証言で日本のことなどそれどころじゃなかった日には落ちてから2時間しても情報がちっともわからなかったのだからJアラートがなったとしてももう遅いとしか思えない。

いくら地面に伏せて頭を守ってもミサイルが原発に落ちたら多分「直ちに危険はない」と言いながら自分たちは海外へ逃げていくのだろう。

今日の夕刊に6.23〈沖縄慰霊の日〉出版広告特集があった。そこに載っていた『オリバー・ストーンが語る日米史の真実』のところにオリバー・ストーン監督が「政府は必ずウソをつく」という考えに行き着いたとあった。

ウソをつく人は自分は絶対ウソをついていないと言う。でも嘘は必ずいつかばれる。

梅雨時のせいか体が重く感じて、最近歩いていなかったので、久しぶりにモノレールに乗って、高幡不動の紫陽花祭りに行ってきた。

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参道には七夕の飾りが揺れていた。

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写真で見て気がついたのだが、雲が塔から放出されているみたい。

ヤマアジサイの展示が並んでいた。

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ヒマラヤ産 碧の瞳

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沖縄コンテリギ

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銀河の輝き

みんな素敵な名前が付いている。

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境内の中は青い紫陽花が多い。

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八重のドクダミ 大日堂の右手にある水琴窟。竹筒から落ちる水音は聞こえないけど、地中のかめに落ちる水滴の音が響く。

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お茶室とお庭があり、本日は薄茶接待とあり茶室に入ってお菓子とお茶を頂いた。

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これは(上)自生している紫陽花と立て札にあった。

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この山道を入るとずっと園内に紫陽花が咲いていているのだが、今日は下から写して終わり。

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その後京王線をくぐって駅の反対側へ7分くらい歩いていくと、向島用水親水路に出た。

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ヒヨドリ水浴び中。他にオナガシジュウカラがいたが、写真には写っていなかった。

 

水車小屋

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その後万願寺駅まで一駅歩いて帰ってきた。

あれこれと

とっくに梅雨入りしているのに、雨が降りそうで降らないと思ったら、日にちが確定するのは9月という事やっぱり梅雨入りしてないかもしれないこの頃。もやっとしている間にも時は過ぎていく。

 

徹夜で国会をやっていてもあまりニュースでも言っていなくて、次の日の午後に国会議事堂前を通ったが、道路の両脇に警察の車両は止まっているが、人はほとんどいない。

最近、ランチに行ったときに、「共謀罪って、私たち関係ないと思ったら、一般の人でも当てはまるかもしれないのね」という話題になって全然関係ないわけではないと一般の人々がやっと思い始めたかと思ったら、もう成立。それすら芸能人の話題や皇室の話題とともにすぐ関心が去っていくのだろうか。 

駅前のビルの大型ビジョンで男の子が駅のベンチの下に黒いバッグを見つけて駅員に通報すると、爆破処理班の装備の人たちがやってきて、警官が少年の頭を撫でながら「ありがとう」という。そして「テロを許さない」のような文字が大きく写る。警視庁の広告が通るたびに流れている。それを見ながら、こうして何度も見ているうちにそれは一つの現実になっていくのだろうかと思う。大抵のかばんは忘れ物で服やらお弁当やらかもしれない。しかし、いつの間にか不審物があると爆弾が当たり前にの社会になっている。その時のためにもテロ等準備罪が成立して安心したというのも国民の半数にとっての現実なのかもしれない。

私の生きている現実とはどんどん離れていくような気がする。

 

嬉しい出来事もあった。 

3年前にメダカをたくさん親戚にもらったのだが、減る一方でついに去年生まれて育った子供が(たった!)1匹に大人が4匹になってしまっていた。最初は色が変わったメダカも混ざっていたのだが、今は黒いメダカだけになった。それが先月に、水草が増えてきたので半分隣の水槽に移したら、卵が孵ってたくさんの赤ちゃんメダカが泳いでいる。毎朝見るたびメダカの赤ちゃんが増えていて、最初の頃のものはもう2センチくらいにまで大きくなってきた。

 

もう一つ。うちの駐車場のライトの上に10年くらい前にツバメが巣を作った。10センチ四方の照明の上なので雛が落ちたりしたが無事に巣立ったと思ったら、次の年だったか雛が孵った後でカラスが襲ってきてそれ以来ずっとツバメが来ることもなくそのままだった。

今年商店街のツバメが巣立った頃になって我が家のその巣にツバメが来た。

長年放って置かれたツバメの巣なのだが、大して補修するとかもなく、すぐ卵を産んで温めているようだ。朝、家の周りに水を撒くときに後ろに回るとツバメの頭が見える。商店街の方は人通りがあるのでカラスに襲われにくいだろうが、裏通りなのでそんなに人通りもない。今度は無事育ってくれるといいのだが。

 

その他冷蔵庫を買い換えた。床に水が漏るようになったので15年くらい前のものを新しくした。数年前に書いたことがあるが自動製氷機が要らないと思っていたので、ないものを探すと今より小さい家族2、3人用のものでシャープのものだけがあった。しかし、今家族4人用の大きいサイズの方が年間電気料金は安いという。なんという矛盾。

大きい冷蔵庫に入ると言っても保冷剤やソースの小袋や期限切れそれも5年くらいの缶詰のお菓子などを捨てたり食べたりして減らしたらサイズはちょうど収まっている。

 

そのうちに電子レンジも続けて使うとモーター音が止まらない。こちらは20年前のものだ。だがやはりオープンレンジというのは今はどのメーカーも大型になってしまっていて、しかも使い方が複雑になっている。自動で作れるメニューが400種類以上あるものもある。一度に3品が10分でできると言われても、使いこなす自信もなく、メンテナンスも操作も複雑になるばかりだ。もちろんただシンプルなレンジでいいのだが、娘がクッキーくらい焼きたいという。何度も電気屋さんに行って各メーカーのものを調べてみたのだが、どうも求めるようなものがない。どうしてもっとシンプルにでもちゃんとしたものを作ってくれないのだろうか。なのでこちらはまだまだ考え中。

 

 

食べられる幸せ

台所からポコポコと言いながらコーヒーの香りが流れ、
イワンのアンチョビキャベツのパンがオーブントースターで温められて、芳ばしくてパンチの効いた食欲を誘う香りが漂う時、
生きる力が湧いてくる。        by私

今月の上旬にお義母さんがデイサービスの送迎中に車によって戻してしまい、汚物処理のドサクサで上の入れ歯がなくなってしまった。

ノロウイルスか、インフルエンザかと心配したが、翌日には元気で大事には至らなかったが、さて食欲はあるのに入れ歯がないので食事ができない。食べたいものが頭の中に浮かんでいるのに、出てくるものがおかゆか雑炊かうどんのローテーションで、何故歯がなくなってしまったのかを翌日にはすっかり忘れている義母にはどうして食べたいものが食べられないのかが理解できずに、食事の度にガッカリしてため息をついていた。
入れ歯を無くして歯茎で食べるとなると、柔らかいものに限られる。
幸いに(なんだかどうかは置いておいて)、デイサービスでは真空調理で歯茎で切れるほど柔らかくなる料理法で、隣の人と同じメニューで同じ見た目のままで、柔らかさだけ柔らかくなるおかずを提供してくれた。
他に一度ミキサーでドロドロのものを再びゼリーで固めて、見た目を同じようにした魚とかもある。
真空調理の切り干し大根の煮物などは美味しいと食べたが、ミキサー後に固めた魚はまずいと言って食べなかったようだ。


15年くらい前、お義父さんが入院していた時に、やはり病院で入れ歯を無くして、ミキサー食が出て来たが、全てのものがドロドロで、器に入っているものだった。味は残っているのだろうが、見た目と舌触りのないものは全く食欲が湧かない。ほとんど食べてくれず、病院が近かったため食事のたびにお粥や雑炊を作って家から持って行った。

最近はそれをまたゼリーで固めて形を整えて魚の見た目にするようなのだが、柔らかくても噛めるのと、ドロドロとではやはり違うのだ。
お米は柔らかく炊けばカレーや、スープや味噌汁をかけても食べられる。お粥に雑炊、うどん、おかずに豆腐、胡麻豆腐、卵豆腐のバリエーション位の食事が二週間。朝に、なると入れ歯がないのと探しているお母さんに雑炊を出して入れ歯ができるまで柔らかいものを食べるしかないと言うと、大きなため息を20回位つきながら座っている。

入れ歯を無くした翌日に歯医者へ行って(幸いにも隣が!歯医者さん)入れ歯を作ってもらい、2週間後に保険で出来上がった。一番初めに型を取らなくてはならず、それが高齢者にはものすごく苦しい姿勢で我慢するのが辛くて、「もう嫌だ、歯はいい」という声にいっそ作るのはもうやめようかとも考えたが、歯医者さんは噛まない習慣になると、筋力も衰えて寝たきりになるリスクも高まりますと言った。確かに2週間の間に急に認知力や筋力が落ちたような気がするのは気のせいだけではないように思えた。

 

美味しいものを口に入れてよく噛んで、それが体に染み渡って行くのを感じる。それは祈りのような儀式とも似ている。

 

忙しいから、時間がないからとこれ一本でエネルギーチャージ終了で食事を済ませることを脳は受け入れてくれるものだろうか。フォアグラのガチョウの如く、ロボットの如く、カロリーや栄養素が正しくても、食べることにあるのはそれだけではないように思う。

 

食べること考えること (散文の時間)

食べること考えること (散文の時間)

 

 入れ歯が入った日に、まだ新しい入れ歯の形状になれず違和感と少しの痛みがありとったり入れたりしていたが、かき揚げうどんを食べた後のお義母さんはものすごく上機嫌だった。

千駄木駅から日暮里駅へ

文京区立森鷗外記念館で特別展『鷗外の「庭」に咲く草花ー牧野富太郎の植物図とともに』というのを開催しているというので、見に行った。

千駄木駅から歩いて5分、団子坂を登ったところにある。

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今はおしゃれな建物だが、森鷗外はこの地に明治25年(1982年)に転居してきて、大正11年(1922年)になくなるまで家族とともに暮らしていた。「観潮楼」と名付けられた屋敷を建て、庭にたくさんの草花を育て園芸を楽しんでいたそうだ。現代のガーデニングに通じる庭づくりであったようで、『花暦』と題する自筆原稿には2月から9月までの庭の70種に及ぶ、草花の開花状況を書き記している。

 

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記念館のカフェで頂いた和菓子。

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建物を出て千駄木駅方面を見ると正面にスカイツリーが見えた。「観潮楼」という名前にあるように、当時はここから東京湾が見えていたのだろう。

来る時に団子坂を登った交差点に旧安田楠雄庭園の標識があり、そちらへ寄ると水曜、土曜が一般公開日になっていて、見学する。森鷗外記念館から来ると入館料が2割引でまたもラッキー。

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「豊島園」の創始者である実業家・藤田好三郎氏によって大正8年につくられた木造2階建の近代和風建築。その後大正12年、安田善四郎氏(旧安田財閥創始者安田善次郎の女婿)が関東大震災で被災したためにこの家を購入した。安田氏は藤田氏に譲られた家を大切に扱い子供達にも家訓としてガラスを絶対に破らせないなどそのままの状態を守ったため、ガラスもすべて建築当初のままであるという。関東大震災第二次世界大戦の被災も免れてほぼ完全に残っている。

その後長男楠雄氏が相続し、平成7年に楠雄氏が逝去するとナショナルトラストに寄贈された。

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正面の玄関は結婚式などの特別な時にしか使用されなかった。

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横の玄関。上の箱は提灯が入っている箱で安田家の家紋は7つの丸

正面玄関のふすまは当初のままで藤田さんの藤の花。

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洋室。暖炉のガスは当初から引かれていたという。

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ピアノの左の箱は自動演奏機?今でも2曲ほどイベントの時には曲を聴くことができる。

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当時のままのガラス越しで見る庭。少し歪みがあるガラスは温かみがあって景色も柔らかく感じるから不思議だ。

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 東西に細長い雁行式という建てかたで、各部屋から南側の庭園を楽しむことができる。

 台所に入ったのは専属の料理人だけで家族は入らなかったとか。

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 ガラスや照明はともかく、冷蔵庫などは実際はいつまで使われていたのか、そこを聞くのを忘れた・・

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 建物を出てから、来た道を戻ろうかと思ったが、せっかくなので一本手前の道から坂を下りようと曲がって行くと、目の前に大きな木が見えた。吸い寄せられるように近づいていくと猫が行儀よくポーズを取っているのでカメラを向けたのだが、シャッターを切る前に猫がこちらにやってきた。

 

 

 

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 こんな距離で目が合った?のかどんどん近づいてきて、ついに足に体を摺り寄せてきたので体を撫ぜるとたちまち仰向けに・・こんなに人懐っこい猫には会ったことがないかも。

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この町は猫に優しい町?なのか、猫が道案内をしてくれた。「私は公園の入り口まで案内するのが仕事なの」と言ってる?

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公園を出てからもう少し歩くことにして、適当に歩いていくと・・

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表通りから入っていったら人がたくさんいると思ったら、谷中銀座だった。

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 千駄木谷中界隈、テレビでよく紹介されていたり名前はよく知っているけど初めて行った町。地図も見ないで適当に歩いただけでも面白いところに当たる。まだ興味のあるところはたくさんあったのだが、時間切れでこの先の日暮里駅までで散歩は終わり。

 

 

 

 

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