ミュシャ展

今年になってから、まだ一度も展覧会の類に出かけていなかった。毎年冬の間は出不精になってしまうが、今年は特に自由に出かける時間もいつも不安があって出かけることができなかった。出かけても、時間までに電車が止まって帰れなかったらどうしようとか、携帯に呼び出しがあるかもとか勝手に自分で自分を縛ってしまう。行動範囲も狭まるばかりだ。何もないことが、却って不安になっていく。

3月8日から始まったミュシャ展へ行ってきた。午後から雨の予報でいつ降るかという空の色だったが、都内の桜はだいぶ色づいて見えた。

ミュシャ展はポスターやアール・ヌーボーの美術展など見に行く機会もよくあるが、今回超大作<スラブ叙事詩>全20作がチェコ国外世界初公開ということで、全く今まで見たことのない作品を見ることができた。6メートル×8メートルの大きさの絵が7点、他も全て大きい作品だった。

これらの作品はミュシャの晩年、故郷に戻り16年かけて描かれたものだが、時代の流れでほとんど公開される機会のないままになっていたという。5年前から去年までプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿にて展示されていて、初めて国外での展示となった。

中で撮影可能エリアがあり、数点は撮影可能となっていた。

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<聖アトス山>1926年405×480cm

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スラブ民族の賛歌>1926年480×405cm

ミュシャのポスター展などを何度も見ているというのに、ミュシャの生涯については今まで知らなかった。成功した後、祖国のためにと自国の歴史を描いたものの、時代遅れとなり、その後ナチスドイツに愛国者として拘束され釈放されたものの、その年に死去している。

以前「ヒヤシンス姫」のポストカードを飾っていたが、ずっと少女の目に見つめられている気がして、別のカードに変えてしまったことがある。それよりもっとはっきりとこちらを見つめている人がどの絵の中にもいる。どんな時代にも目を見開いてみている無名の人がいる。

この人ごみでなく、広い場所でずっと絵を見ていたら、本当に絵の中に引き込まれていきそうに感じるかもしれない。スラブ民族でなくても歴史の中の一人の人間にしか過ぎない。

ミュシャチェコ語の発音ではムハというそうで絵の説明書きにはミュシャ(ムハ)と必ず書き込まれているので、これからはムハと表すようになるのだろうか。その場合アルフォンス、の方の発音はやはり変わるのだろうか。

映像コーナーのビデオで、プラハでの公開は2016年に終了したとあったが、するとその後はどこで公開されるのか決まっているのだろうか?

国立新美術館、国立という名前なのに、観る人は四角いスペースにぎゅっと詰め込まれたようで、横の細いコーナーから奥の部屋に出入りする人がぶつかる動線になっていて、観るのにストレスがかかる。隣の部屋や上下の階でも色々な展示が行われているのだが、もう少しゆったりとスペースを確保してもいいのではないかと感じる。

 

水とか主要農作物まで経済性とか効率で考えていいのか?

小学校の卒業式でも袴姿の生徒が増えているという。娘も今年大学を卒業するが、成人式の時も「着物着る?」「別に」で写真も撮らず、今回も結局何も用意していない。新しいスーツを買いに行こうね、とは言っているのだが、時間が合わなくてそれも間に合いそうにない。

私は中高、短大とクリスチャンの学校だったので、普段は私服だったが、卒業式の時には学校でガウンと帽子を貸与してくれるのでその時だけが、みんながお揃いとなった。ガウンの下も特別華美な服装ではなかった。

3月7日に水道法改正の閣議決定、3月8日に種子法廃止法案が審議入りとのことで、今なぜそういう法律の改正が必要なのか、考える前にあまり表に出ることもなく変わっていく問題も多い。水も種も生きていくために守っていく必要があるものが、自分で選択することもできなくなっていったら恐ろしいと思う。フッ素水の添加された水は飲みたくないと思うし、在来種の種を守って欲しいと思う。それがいつか選ぶこともできない世界が近づいているように思える。私の飲んでいる水道水も、知らなかったのだが、すでに市町村の水道部門が東京都に一元化されていた。多摩地域では、昭島市羽村市武蔵野市しか市町の水道部は残っていない。

赤字だからと民営化となってしまうこともないとは言えないのだ。

ワイドショーが盛り上がるほど、もっと大きな変化が進んでいる気がしてならない。

 

 

本のタイトルは目に入る、内容は頭に入ってこない、そんな午後のエスプレッソ

昨日のお昼前に電話が鳴った。東京電力の関連会社と言ったのかよく聞いていなかったが、電気代が今の半額くらいになるのですが、と話し始めた。しばらくおとなしく聞いていたが、今の電気代は一万五千円以上ならガス代こみで契約すると云々、夜間の電気代はさらにお安く・・という話しは今までに聞いたことがありますか?と言われて、ありません、だいたい東京電力には・・と言ったら急に怒りがこみ上げてしまい、「原発の処理費用も電気代に上乗せされて怒ってるんです」までいうと相手も「はいはい」と最後まで聞かずにすぐ電話が切れた。勧誘の人に怒りをぶつけてもどうしようもないのに簡単に怒りのスイッチが入ってしまい、自分が情けない。ポスト真実の社会では感情優先の社会だというが、すでに自分もその中の一員になっているのだろうか。しかし、テーブルの上の東京新聞の一面には、電気代の検針票に含まれる原発の処理費用が解説されていて、そんな日にかけてくるのも、間が悪すぎる。あの後も電話をかけ続けて何人かに文句を言われただろうか。

 

夜にNHKためしてガッテンが始まったと思ったら、先週の放送の内容についてのお詫びを言っていた。それを見て、私もあれはまずいと思ったんだと思い出したが、先週見た時にこれは・・・と思ったのに、番組が終わるとそのことをもう考えることもなく過ごしてしまったということにまた愕然とした。糖尿病の改善に睡眠導入剤が効果がある、と言っていたので、ガッテンの放送を今後中止にしてもいいくらい検証すべきこともあると思うのだが、私自身の、これは問題だと捉える感覚が鈍くなってしまっているのだと感じる。

日々なんだかニュースに流されて肝心の大切なニュースがわからなくなってしまっているという不安に駆られている。

国会で森友学園のことが取り上げられている時にも毎日北朝鮮の暗殺事件ばかりをニュースで延々と言っていて、なぜ取り上げないのかとイライラしていたら、やっとどの局も取り上げるようになったと思ったら、今度はそちらに向いている間に共謀罪閣議決定されるかもしれない。

食中毒の原因が焼き海苔だったとか、悲劇のプリンスの生い立ちがどうとか、そういう話題で日常が過ぎていく。

ちょうど1年前のブログで取り上げた、去年読んだ本のタイトルが頭の中で蘇る。

 

いつも手遅れ

いつも手遅れ

 

 

 

plumarrri.hatenadiary.com

 

 

風の音を聴く

今日は春一番。かなりの強風になるようで、こういう日には、風に乗って色々なものが飛んでくる。風がベランダのガラスを揺らし、外からはサイレンが聞こえてくる。春を喜ぶ気持ちより、不安を掻き立てる。

 

あなたは認知症と医者に言われれば、今日から私は認知症となるが、医者や周りが言わない人でも症状はあまり変わらない人もたくさんいる。すでに脳の画像を取るとか、簡単なテストですら受けられる状態でない人もいるし、ちゃんとした診断を受けることはないだろうが、だんだんと生活の上で問題を抱えるようになってくるものだ。

そして介護を受けたいとなった時に面倒くさい手続きや、事業所の選択や判断や契約の内容を理解することがどれくらいできるのだろうかと思う。それらを経なければ受けられないシステムはとても問題がある。今のサービスも受けられる人と受けることもできない人の差はかなりあるだろう。介護が必要でも認定を受けない人たちのことを地域包括支援センターに相談しても自分たちの仕事の範疇を超えているので結局対処する方法は見つからない。

結局、介護保険を申請するのも、そうした判断のできる家族がやるのではと思うが、それも見る人と見てもらう人が一対一ならまだしも、一人で二人以上を見るとしたら、それが離れた場所に住んでいる人だったら、どれくらいのことができるのかと思う。

その保険も来年からは負担が人によっては3割になるとか、要介護度が下がれば自治体に財政支援するというが、歳は取っていくのに、要介護度が下がった結果、今まで受けていたサービスが受けられなくなれば、困ったりまた逆戻りしたりする可能性のほうが高くて現実的な対策なのかと考えてしまう。

 

昨日の午前10時過ぎにJR中央線の中央特快に乗った。途中の駅を通過していくときに、いつもよりゆっくり徐行しているように感じた。電車の時間は定時より朝の混雑の影響で2分ほど遅れているというアナウンスがあったので、いつもならもっとスピードを落とさずに通過するのに、私は運転手さんが恐る恐る駅を通過しているように感じた。中央線にはまだホームドアがない。何かを運転手さんが感じているような気がしたのだ。三鷹駅に着いて、私は反対側のホームで待っていた快速に乗り換えた。今まで乗っていた中央特快は先に発車した。その後で私の乗ってた快速も発車した。

しかし、発車してすぐ数十メートル進んだと思ったら、急停車した。

しばらくしてからアナウンスがあった。先ほどまで乗っていた電車に次の通過駅の吉祥寺で飛び込みがあったのだ。

結局後ろの車両のドアが開けられて乗客はそこから降ろされて平行して走っている総武線に振り替えられた。それに乗って吉祥寺まで行った時にまだその車両は中の人たちを後ろの車両から降ろしているところだった。ホームから半分くらい通過していたが、運転席のガラスが大きくひび割れて穴が空いているように見えた。

午後にスマホで検索すると事故で亡くなったのは若い男性らしい。

運転手さんの気持ちも考えずにはいられない。

 

 

 

多摩センター駅から歩く

「明日は立春です」という朝のニュースのアナウンサーの服装も今日は春めいて見える。おととい信用金庫へ行った時にATMの横に置いてあった広報誌の切り抜きを片手に、久しぶりに多摩歩きに出かけた。

切り抜いておいたのは永山駅・多摩センター駅界隈の案内地図。モノレールで終点の多摩センター駅まで行った。

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デッキを歩くと小田急線と京王線多摩センター駅とつながっている。ロータリーの鉄塔のサビ具合とバス乗り場の屋根とを見るとまわりに大きな建物が立ち並ぶ一方で老朽化が進んできている。

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駅から左へ向かうサンリオピューロランドまでは街並みもテーマパークのようでここだけは人口密度が高い。後は人の気配がグッと少なくなる。この写真の正面右の高いビルはベネッセだ。うちの下の子もしまじろうの人形をいつも持ち歩いてたっけ。情報漏えいの時、図書券を2枚もらった。

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駅前の大通りをまっすぐ来ると突き当りがパルテノン多摩だ。29年目となり施設の老朽化により大規模改修が必要になり、多額の費用がかかると問題になっている。立派な施設や標識などもその後維持していくのは大変なことなのだ。

正面階段を上がるとその先は池と公園が広がっている。建物の屋上からつながっているので不思議な構造だ。そして人と自転車の専用道路がずっと続いていて、自動車の道路を通らないでも街のあらゆるところに行かれるという。専用道路は歩道橋で車道とは立体交差になっている。車道と平行ならまだ方向感覚が保てるが、歩く道はカーブして緑地や団地の中を通っていくのですぐ迷子になってしまう。しかもその道はどこまでも広かったりするし、団地の番号も5−4−3、隣は5−4−2、とかいつも迷子になるのを楽しんでいるのだが、ちょっと不安になってきた。

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どんぐり山。

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真正面に富士山が見えている。ただ、手前の山の上から頭がわずかに覗いているだけなのが多少残念だが。この広いスペースも公園と歩道の中間なのだろうか。

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突き当たりから歩道橋でまだ先が続いているが、下に降りて車道に沿った歩道を歩いた。

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下の道も静かだ。途中、小学校や中学校の横も通ったが12時半頃はお昼なのかどこも静か。うちのそばでは常にビルの工事の音やヘリコプターなど騒音ばかりなのに、ここでは聞こえてくるのは鳥のさえずりくらい。人口密度が低いのだろう。公園の中に集合住宅がゆったりと並ぶようで、20年前の私だったら夢と希望の新しい街に映っただろう。

しかし、自然が周りにあふれている様で、この緑のスペースが実は切り開かれて新しく造られた人工的な感じがして、まるで自分が現代アートの作品の中に入り込んでいる様な気がした。

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豊ヶ丘南公園。

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八角堂。ハード系の美味しいパン屋さんが入っていて、中でパンとコーヒーを頂いた。歩いていたら暖かかったせいで汗ばむくらいだった。ここからまた戻った。

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枝の先に月。

そして案内の地図にあって一番見たかった、平久保(ビリクボ)公園のシイ。東京都の天然記念物のスダジイで島しょ以外でもっとも樹高が高い木だそうだ。2本が一体のようになっている。

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樹齢は500〜600年だそう。写真では大きさが感じられないが、近くで見ると圧倒的な迫力があった。

しかし、この公園はこの木が中心にあるだけだ。周りがすっかり開発されて残された一画のように見える。それはこの巨木にとってはほんの一瞬のことなのかもしれない。

 

 

 

 

会おうとすると会えないけれど

毎年のように一月に歯の詰め物が取れているような気がするのだが、今年も珍しくフロスで掃除をしたら引っかかって詰め物が取れた。

次の日に歯医者さんへ連絡して、予約でなくて見てもらった。とりあえず取れたところを詰めてその日一回で直してもらえないかと頼んだが、他に虫歯もあって穴が空いているという。取れたところは型を取ってから詰めるので3回はかかると言われた。

高齢者の介護があるから、一週間先の予約では急に来れなくなるかもしれないからと訴えたのだけど、この時は来られなくなった時に電話してくれればまた変更しますから、ということで結局その日は柔らかい仮の詰め物で次の予約が取れたのは先生が診療の日と私の都合の良さそうな日で最短で9日後だった。

噛み合わせがいつもと変わったのか、今までの詰め物がなくなったら、物を噛むと口の内側を噛んでしまい、食事のたびに血豆になった。

ちなみに口の中は皮膚の回復力が非常に早くて、食後1時間もすると血豆の血液は吸収されて治るということを発見した!

なんとか噛まないように気をつけて食事をして、どうやら9日が過ぎて今日予約日になり治療に行ってきた。先生から今日は大丈夫でしたか、と言われ「はい」と答えた。少し削って型を取って10分もかからずに終わった。前回は予約でなかったから、この作業も出来なかったのかと思うと、歯科治療にはどうも不信感が湧いてしまう。10日近く詰め物が取れて尖った歯が舌に当たって痛いのを我慢したのに、さらに次の予約まで8日間待つのだ。

思っていたより早く終わって、家の方向と反対へ少し歩くと数件先にスーパーがあるが、その向かい側に知り合いが歩いていた。

彼女は子供が幼稚園の同級生でその頃からよく会っているが、2年前から彼女のお母さんが車椅子で家で介護していてほとんど会う時間が取れない。去年も何回か会ったのは病院の待合室でお互いに付き添いで、終わったら、一緒に近くでご飯でも食べないと聞いたら、その後にまたリハビリとか予定があるとのことでいつもすれ違っていた。

それが先週の夕方に駅前でばったり会って、お母さんのデイサービスの間に今度こそお昼を一緒に食べようと話した。その夜にメールで、もう一人同じく同居のお義母さんがうちと一緒のデイサービスに通っているやはり子供の同級生つながりの友人と3人が果たして会える日というのが1ヶ月先まで都合が合わない。あまり先になると一週間先でも最近わからないからまた来月予定を合わせてみようということになった。

そんな風にいつ会おうと約束しようとすると、一方が、何時までならデイサービスに行ってる、と言うと、何時からリハビリ、とか本当に時間が合わない。なので思いもかけないところでばったりと出会ってちょっとびっくり。私がそこの歯医者さんが終わったところ、というと、彼女はその先の整骨院のリハビリに今お母さんが来ていて迎えに来たところだった。彼女も別の歯医者さんに行っていたという。この後家まで車椅子を押して帰るということだった。

私はその先に最近新しくできた珈琲の店で一人でコーヒーを飲んで帰った。

 

 

海へ還る

ポストにNTTのタウンページが入っていた。宛名は書かれていなくてビニール袋に入れられていたので、各家のポストに投函されたのだろうか。うちではいらないと言ったのだったか忘れてしまったが、家にあるタウンページは2004年〜2005年のものが最後になっている。

久しぶりに見て驚いたのは例えば水道衛生工事のページを見ると、Aという会社?名に電話番号が並んでいるが同じ名前の業者が三つあるらしく、その後にアーアーアーアーアステイとか、アーアーアーアンシンと続く。塗装工事、畳張替え、リフォーム、蜂駆除、パソコン修理と色々な職種に同じような表記が並んでいて、電話受付で全てのことを行う業者がいるということなのだろうか。これでは電話をしてもどこの誰にかけているのかわからない。Aというのが正式な会社名とは思えないが、そんな業者に頼む人がいるのだろうか。そして本当に知りたいお店は電話帳に載せていなかったりする。

 

先日、美容院へ行った時に美容師の人に何気なく、今年も実家に帰ったのと聞いたら、去年の夏頃にお母さんが急死したという。一人暮らしでお母さんも美容室をしていたそうだが、朝方家で倒れてそのまま亡くなってしまったという。

月に一度くらいは美容室に通っているのに、それまで知らなかったが、そのお葬式の話を聞いてまた驚いた。

お母さんは生前、周りの人たちに散骨して欲しいと頼んでいたのでその意志に従って海に散骨したのだそうだ。骨は砕けばどこに撒いてもいいのだそうで、その道具をネットでレンタルしたのだけど、手動のものだったので少しづつしかできず、疲れるので家族みんなが交代で作業しなければならず、嫌がっていた家族も最後にみんなで必死に協力して粉にしたそうだ。水に溶ける小袋がついていて、それに小分けして海に投げて、一部は弟の家の庭に囲みを作って椿を植えたという。そして自分の時もそうして欲しいと家族に言ったそうだ。

数年前にそういう話を聞いたら全く違う反応をしたと思うのだが、今その話を聞くと、お母さんは自分の意思をしっかり周りに話していてそれを子供たちも叶えてあげて満足しているのではないかなと思えるのだ。

執着していない人にはお経がなくても自由に魂は帰っていく。

肉体だった原子は地球に還元されていく。そんな気がしている。

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